研究課題/領域番号 |
23520278
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研究機関 | 東北大学 |
研究代表者 |
石幡 直樹 東北大学, 国際文化研究科, 教授 (30125497)
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キーワード | ウルストンクラフト |
研究概要 |
6月30日から7月8日にかけてチューリッヒ大学において、ウルストンクラフトと進歩の概念に関する資料収集を行った。また、ウルストンクラフトの『北欧からの手紙』(Letters Written during a Short Residence in Sweden, Norway, and Denmark)の翻訳の最終校正を終え、8月28日に法政大学出版局から『ウルストンクラフトの北欧からの手紙』のタイトルで出版した。 この旅行記では彼女は、人類、社会、女性は「進歩」が必要であるという進歩主義を展開している。文明とはその進歩の跡をたどったことのない人には、その恩恵が十分に評価されないものだと述べ、獣のような自然状態からの文明社会への進歩を人間に不可欠なものと捉えている。だが同時に、社会全体の「進歩」について彼女は、北欧諸国の社会のそれを願う一方で、産業革命以降急速に工業化と近代化が進む社会に対する漠然とした不安も表明している。『北欧からの手紙』ではスウェーデンやデンマークの自然と接したことで単純な進歩史観には疑問を呈している。 彼女のこのような躊躇は、文明と自然の二元論における両義的な所見や、北欧の自然描写から恋人との愛の葛藤の超越を願う苦悩の心象風景描写へと連なる展開の背景ともなっている。北欧の人間と自然に触れながら、人類、女性、社会の進歩について思索を深め続けた彼女は、自己の進歩を模索してさまよう精神の軌跡を描写しており、当時の読者の心を広く掴んだのは、このような理性と想像力、信念と感性のはざまでさまよう彼女の心情の揺れ動きである。 フェミニズムの鼻祖とされ、当時の知識人に「ペチコートをはいたハイエナ」と揶揄されたウルストンクラフトの理性の裏に隠れた想像力豊かな人間性を、そして愛の葛藤に苦悩する一女性の姿を生々しく見せてくれる本書を、日本の読者に紹介できたことは意義深い。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
平成24年度はウルストンクラフトに関連する図書・資料を購入して考察を加え、スイスへ出張して資料を収集した。また『北欧旅行記』の翻訳を出版し、以下のような訳者解説を付した。 『北欧からの手紙』(1796)は恋人ギルバート・イムレイに宛てた書簡形式の旅行記である。イムレイはアメリカの軍人で1793年にパリでメアリに出会う。1795年、彼女はロンドンに戻ってイムレイの心変わりを知り絶望するが、そのわずか二週間後、彼の貿易事業の代理人として6月末から3か月半スウェーデン、ノルウェー、デンマークの三国を巡る。 彼女が旅立った理由は、転地療養、フランス革命に中立姿勢を取る北欧諸国への関心、イムレイとの関係修復への希望、彼への感情依存からの脱却などに加えて、旅行記出版による経済的自立という意味合いもあったと思われる。 荘厳で荒涼とした大自然を「ピクチャレスク」という当時の流行語を頻繁に用いて描写し、後進国の社会と風俗を鋭い観察眼で紹介する本書は、彼女の自伝であり内省の記録でもある。出版当時好評を博した理由は、自らの思考の二律背反をめぐる思索の軌跡の赤裸々な告白にある。 彼女はルソーの称揚する黄金時代を退けて、人類、社会、そして女性の「進歩」を説く。しかし、北欧の未開の風習を先進国の基準で計ることを避け、進歩を拙速に求めることを戒めもする。進歩に関する思索は、北欧での観察を経て『擁護』に見られる未熟な急進主義を超克している。女性の権利についても、「男性は万物の専制君主」と旧来の社会観念に反駁するが、イムレイとの間に生まれた自分の幼い娘に、男性と同等の権利を持つ「信念」を授けることが、理知に走った感情のとぼしい性格を生み出しはしないかと恐れて、微妙な揺らぎを見せる。これらの書簡には、『擁護』の居丈高な調子が再吟味されて、理性と想像力、信念と感性のはざまで揺れる彼女の心情が読み取れる。
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今後の研究の推進方策 |
平成25年度以降は、基本的に平成24年度の研究計画・方法を踏襲して、研究をさらに進展させる。ウルストンクラフト、ロマン主義時 代思潮などに関連する図書・資料を購入して考察を深める。
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次年度の研究費の使用計画 |
平成24年度と同様に、関連著作や資料の分析と解釈が主な研究方法となる。著作と資料の分析以外にも、国内・国外に資料収集を目的とした出張を計画している。
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