最終年度では、代官請負の事例についてのデータベースの入力を進めると共に、紀伊国カセ田荘・志富田荘・和太荘・和佐荘、播磨国矢野荘、山城国上野荘について、15~16世紀の用水と農業生産・再開発の状況を知る手がかりを探るための現地調査を行った。また昨年度調査した若狭国太良荘、丹後国志楽荘、備中国上原郷等についても資料収集と検討を続けた。そして昨年度の諸荘園を横断した概観的な論文に続き、今年度は山城国上野荘の荘官・代官による再開発についての個別報告を東寺文書研究会にて行い、論文投稿の準備を進めた。また9月より総合地球環境学研究所の共同研究員に加わることになり、それまでの当研究の概略を報告し、古気候学や考古学・地理学の研究者との意見交換を行うことができた。 研究計画全体を通して、南北朝~室町時代の荘園経営方式である代官請負制について、南北朝内乱期に経営が維持された荘園では、荘園領主の被官が派遣される直務代官の方式を取ることが多かったが、室町幕府の体制が固まるにつれて、禅僧や商人が荘園領主と契約して年貢収取を請け負う請負代官が増加する傾向が明らかになった。 しかし応永の末年から嘉吉の乱にかけて年貢の収納が減少し、代官も頻繁に交替する傾向が顕著になる。この年貢減少を引き起こした原因は、嘉吉の乱による室町幕府体制の動揺という政治的要因に加え、応永年間末から嘉吉年間にかけての頻繁な水害と旱害による農業生産への打撃、耕地の流出・用水の破損が引き起こした可能性が高いことが判明した。 そして応仁の乱後は在地の武家代官を起用する例が多くなり、代官の補任権も当地の大名権力が握るようになり、室町期荘園制の体制は事実上崩壊して行くとの見通しが得られた。 今後は室町期荘園制の体制崩壊の原因となった15世紀の水干害とその影響について、気候史・災害史・開発史の視点も含めて総合的に明らかにして行きたいと考える。
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