本年度は、まず宮崎県高鍋町の下耳切第三遺跡出土の円面硯が、愛媛県松山市の窯生産品と類似することが判明し、瀬戸内地域からの文字文化の伝播が窺えたため、山陽道側の様相を確認することを目的に広島県での調査を行った。その結果、硯や須恵器とも、宮崎平野部の出土品と同類のものは見られず、下耳切第三遺跡出土の硯は西部瀬戸内方面なかでも伊予・松山地域から、おそらく海路でもたらされた品であると想定されることが分かった。文字文化の伝播が大宰府からの一元的なルートに限らないことが確認できる貴重な成果であった。 また大隅国での墨書土器資料の集成を進めるとともに薩摩国の墨書土器集成の補遺も行った。大隅国府周辺にあたる遺跡では、土師器皿にひらがなが墨書されたものが出土しており、おそらく和歌と考えられる。ひらがな墨書土器は三重県の斎宮跡での出土が知られていること、前年末に京都市で藤原良相邸宅跡から9世紀のひらがな墨書土器が出土したことが報じられていたので、これらの調査を行った。斎宮跡で出土しているひらがな墨書土器は、比較的文字数の少ない、断片的なものが多い。調査担当者によると、ひらがな墨書は斎宮内郭での出土例が多く、女官によるものと推測されていた。斎宮跡では蹄脚硯や他には平城宮でしか見られないような羊形硯もあり、都と直結する文化的様相を確認できた。しかもこれらの硯にも使用痕跡が見られ、威信財としての役割だけではなかったことも分かった。また平安京の藤原良相邸宅跡では、極めて小さい字でひらがなが墨書されている土器とともに、ごく一般的に見られる漢字の墨書土器もあり、当該時期の墨書土器の様相について再検討を促す事例であった。
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