本年度(平成25年度)は、本研究課題遂行の最終年度に当たるため、活動は、これまでの資料収集において不十分であった地域における補充調査と、研究全体の総括とに当てられた。補充調査は、国内は、沖縄、鹿児島、愛知、国外は中国において実施された。アジア武術のエスノサイエンス身体論を明らかにする本研究課題では、東アジア(日本、中国、韓国、台湾)と東南アジア(タイ、インドネシア)に伝承される武術が中心的対象にされた。この間の研究が総合的に示唆するところは、以下のようである。 (1)アジアの武術を伝統的に支えた身体論は、19世紀にアジアにもたらされた近代西洋医学のサイエンス身体論とは、その内容において大きく異なっている。(2)エスノサイエンス身体論では、身体は個に閉じられた体系ではなく、宇宙に解放されてあり、宇宙と有機的に連関する、いわば小宇宙と観念される。(3)東アジアの漢字文化圏では、エスノサイエンス身体論は、しばしば「事理一体」「道器一貫」と表現される宗教的文化の中で説かれる。(4)この文化では、形而上的な理や道(森羅万象を基礎づけ秩序づける宇宙の原理)に通じる心が、体や器と表現される形而下的な技を統制すると考えられ、技の習得においては、その究極目標が技でなく心の修養におかれる。(5)日本の江戸時代の武術家は、技をいかなる場面においても理想的に発現させるいわば殺しの心を仏教の不動智や道教の和(すなわち自他を解消する心、執着のない心、悟りの心)に求める特異な武術エスノサイエンス身体論を展開する。(6)東南アジアの武術にはこうした漢字文化圏の身体論は見られないが、身体が小宇宙であるという観念は共有される。(7)東アジアと東南アジアに共通するエスノサイエンス身体論は、究極的には、メソポタミアの古代文明に発して東西に拡散した古代の大宇宙と小宇宙の対応観念に由来することが考えられる。
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