本研究の目的は、近代期の地方都市・高松を対象として、法定都市計画が高松の都市空間形成にどのような役割を果たしてきたのかを詳細に位置づけ、これまで顧みられることが少なかった近代期の都市計画がつくりあげた都市空間の歴史的・遺産的価値を探求することである。本研究では、近代都市計画によって形成された都市空間を「都市計画遺産」というキー概念で示し、そうした空間の現代的・保全的活用について考察することも視野に入れている。 初年度は、明治以降戦災復興期までの高松の法定都市計画事業をリスト化し、それぞれの計画内容や計画主体、事業間の関連性など、法定都市計画で事業化された地区の具体的内容を把握した。次年度は、前年度に明らかとなった事業史・計画史から、より詳細な空間的レベルへと踏み込み、法定都市計画によって創出された都市空間(道路・広場・公園・港湾といった都市施設単体および複合的な関連性)の形成史を把握し、歴史的・空間的・技術的な視点からそれぞれの遺産的価値を考察した。 戦災により高松市街地には戦前の建物がほとんど残っておらず、城下町の町割りも大きく改変されたことから、高松の戦災復興都市計画は能率重視で碁盤目状のつまらない都市に変貌してしまったと、マイナスに捉えられることが一般的であった。しかし、高松駅および高松港を起点として南に延びる高松港栗林線(現在の中央通り)は、中央に楠の一列植樹を配した美しい広幅員街路(幅員36m)となっており、この街路は戦災という未曽有の災害をバネとしてつくられた、いわば戦災復興遺産とも呼べる近代都市高松を象徴する街路といえるのである。また、旧来の城下町にはなかった、新しい時代の能率美を表現する所産ともいえる。今後の検討課題としては、こうした遺産的価値を有する都市空間の価値を再認識し、それらを市民に伝える方法あるいは活動を検討していきたい。
|