本研究は、19世紀後期英国で活躍した産業デザイナー、クリストファー・ドレッサーの「日本礼賛者」としての諸活動に照明を当て、「ドレッサーが見た日本」のみならず、「見られた日本」の反応を調査するものである。とりわけ、これまで看過されてきた、関西の美術・工芸界とドレッサーとの接点および影響関係を調査することを目的としている。 具体的には、(1)ドレッサー来日時の足跡を示す資料の洗い直し、(2)明治期における工芸振興を担った諸機関・人物とドレッサーとの関わりを示す文献資料を渉猟した。この過程で先学からご協力と資料のご提供を頂き、京都の画家・久保田米僊との繋がりを分析するに至った。ドレッサーの著述『Principles of Decorative Design』が東京のデザイン推進者たちのみならず、京都の米僊にまで与えた影響とその意義について検討を行った。画家・米僊自身に関して未だ詳細な先行研究がないなか、本研究では、著述家・図案家としての米僊に注目し、彼の『美感新論』を中心に、比較研究を行う。ただ、当初の研究計画に比すると進展に遅れが生じた。ドレッサー来日時の資料の再検討に時間を取られ、米僊との影響関係の調査分析に着手するのが遅れたためである。 本研究の意義は、(1)従来、中央/東京の工芸振興を図る政府関係者たちとドレッサーとの交流・影響関係に比重が置かれてきたことに対して、関西という地方性に目を向け、京都の作家および団体の動向に焦点を絞ったこと、(2)京都の画家/米僊とそのドレッサー受容を通して、東京の美術・工芸界との共通点ないし相違点の検討が可能になったこと、(3)ドレッサー/英国におけるジャポニスム研究の文脈と、日本・地方都市側における影響関係の問題、これら双方を検討する点で総合性且つ専門性に富む研究となることである。
|