研究課題/領域番号 |
20H01239
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配分区分 | 補助金 |
研究機関 | 九州大学 |
研究代表者 |
静永 健 九州大学, 人文科学研究院, 教授 (90274406)
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研究期間 (年度) |
2020-04-01 – 2025-03-31
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キーワード | 唐詩 / 平仄構造 / 和漢朗詠集 / 唐詩選 / 長恨歌 / 藤原公任 / 唐汝詢 / 目加田誠 |
研究実績の概要 |
本研究は、中国古典文学の精華とも言うべき唐代の詩歌群が、日本に早くからもたらされ、その後も各時代においてさまざまなに特徴的な鑑賞方法が試みられ、我が国の伝統文化の形成に重要な役割を担い続けてきた事実を仔細に検証し、その越境の過程の分析を目的としている。 四年目の今年は、平安時代の『和漢朗詠集』そして江戸時代に流行した明の『唐詩選』、また近代1930年代の学術交流について幾つかの成果を発表した。中でも白居易の名作「長恨歌」について、新資料をもとに独自の見解を発表することができた。 まず『和漢朗詠集』については、昨年度より開始した収録漢詩句(中国・日本双方)の平仄式の分析である。中国の漢詩(唐代に確立された今体詩)には、中国語特有の高低アクセントにもとづく「平仄」があること、中国の古典研究者においてはほぼ自明だが、『和漢朗詠集』収録句についての分析は私が初めてである。今回も研究室の大学院生の教育の一環として、彼らとの共同執筆で公開できた(同書巻上「夏」部)。つぎに明代の『唐詩選』については、昨年来研究を進めている盲目の学者唐汝詢(1565~1659)とその著作『唐詩解』の考察を継続中。今年は清代に石刻版画で複製された唐汝詢ら上海の明清時代の文人肖像画拓本集を入手、その伝記研究やまた後世への影響などの分析を行った。 近代の学術交流については、目加田誠(1904~1994)の戦前期の中国旅行記の翻刻と注釈作業を継続した。また、1933~35の留学中の日記(翻刻は書籍として既刊)についても、新たに判明した事実を補注として公刊した。 白居易「長恨歌」の研究については、5月に東京で研究発表を行い、その後、論文としても掲載が叶った。はやくも国内および海外(中国)の研究者との意見交換が始まっている。これらの研究成果が日本と中国また文学と歴史学など隣接する諸分野の橋渡しとなることを願っている。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
今年度の大きな研究成果としては、まず清代の上海で石刻版画のかたちで出版された文人肖像画集『邦彦画像』(折帖形式、1冊)の発見がある。東京の古書店で偶然に発見し、九州大学図書館への納入が叶った。これは明代より清代初期において江南地域(特に上海・蘇州・杭州)で活躍した文人たちの肖像画を模写し出版したものである。唐汝詢のほか、王世貞、帰有光、陳継儒など著名な文人の肖像が含まれている。次年度も継続して図像や画讚などを分析したい。 第二の大きな成果は、白居易(772~846)の代表作「長恨歌」の日本伝来の過程と、その本文異同との関係について、新たな考察を発表できたことである。その重要資料が先の『邦彦画像』でも言及した明代の盲目文人唐汝詢(1565~1659)の唐詩選集『唐詩解』五十巻の存在である。従来「長恨歌」研究において大きな難題となっていたものが、日本の古写本(金沢文庫本白氏文集など)と、中国に伝承されている木版印刷本(宋本・明本、そして清代初期に至るまで)との本文異同である。例えば「長恨歌」の第72句、亡き楊貴妃を偲んで悲しみくれる玄宗の日常を描く場面において、中国木版本(そして現在の一般的な通行本も)では「翡翠の衾寒くして誰と共にか(翡翠衾寒誰与共)」とあるのだが、日本の金沢文庫本『白氏文集』(巻12)や藤原基俊『新撰朗詠集』、藤原定家『文集百首』、そして紫式部『源氏物語』(葵巻)では、「ふるき枕ふるき衾誰と共にか(舊枕故衾誰与共)」となっており、日本と中国の研究者間でこれまでにもさまざまな議論が展開されて来た。中には日本に伝承されるこのような本文は後世の誤写であるとの強硬な説も出されたこともあった。しかし、今回の明代の唐詩選集に「舊枕故衾」系の本文が見つかったことにより、従来には異なる新しい視点から、この「舊枕故衾」系の本文こそがまさしく白居易の原作であることが証明された。
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今後の研究の推進方策 |
いよいよ来年度(2024)は本課題研究の最終年度である。これまでの研究成果をまとめ、学界、および可能であればより多くの一般の方々にも気軽にこの成果を参照してもらえるよう、さまざまな公開のかたちを考えたい。 まず『和漢朗詠集』を中心とする中世の唐詩享受については、従来手薄であった「音声」つまり漢詩句の平仄式からの読解が出来るような新たなテキストの作成(仮題=『音読和漢朗詠集』)を目指したい。このような読書のかたち(日本語として読み下すと同時に、中国語直読で享受する方式)こそが、中世に行われていた本来の唐詩鑑賞方法であると思う。 中国明代の唐詩選集『唐詩解』についても、新たな分析結果を論文として公表し、これも一書にまとめたい。特に、江戸時代の服部南郭『唐詩選国字解』との併読は、是非とも実現させたいと考えている。盲目の文人によってはじめて「言語化」された読書のよろこびや、識字階層の広がり(女子教育、児童教育)についても、かならずや多くの方々に興味を持っていただけることと思う。なお、本年度はまず2篇の研究論文の発表を予定している。 近代の日中学術交流については、この数年間に多くの共同研究が立ち上がってきており、私の開拓した目加田誠の北京留学などは、すでに学界では「既知」のことがらになりつつあるが、これら隣接の共同研究とのさらなるコラボレーションによって、近代の学知の発展過程を、もういちど詳細にたどってゆけるであろう。 最後に白居易「長恨歌」とその日本伝来について。これについては日本の唐詩享受の問題だけでなく、中国国内の、民間伝承としての享受にも分析を開始したい。白居易「長恨歌」は、彼の『文集』中に掲載された決定版の本文と、宴席などで妓女たちに歌い継がれてきた言わば流布版とも言える本文とが併存していたもののように考えられる(少なくともそれは明代の上海まで)。このことを明らかにしたい。
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