本研究は瑜伽行派の文献『菩薩地』をもとに、諸法無我という哲学と菩薩道という実践倫理の関係を考察した。 H24年度は『菩薩地』の四念処という瞑想法を取り上げた。伝統的な四念処では体と心を不浄なものとして捉えるが、瑜伽行派に至ってそれらを人間活動の場と見るようになる。これは利他行を重視する菩薩としての在り方と関連していることを指摘した。 H25年度は『菩薩地』と関係が深い『解深密経』に考察範囲を広げた。『解深密経』は雑多な経典の寄せ集めとされ、全体的に一貫した思想性はないと見なされてきたが、今回の研究により、この経典が明確な意図を以て編纂された可能性を明らかにした。H26年度は『菩薩地』と『解深密経』を比較し、『菩薩地』において重要視された「事物」という概念の『解深密経』における位置づけを考察した。 H27年度は『菩薩地』の聖典観を分析した。『菩薩地』は大乗の立場から仏教を包括的に捉えようと試みる。これは伝統的な無我説の大乗の観点での再解釈とも言える。大乗経典は伝統的な経典分類では「方広」という部類に位置づけられる。本研究では、『菩薩地』が伝統説を継承しながら、「方広」の意味を拡大解釈し、大乗経典を伝統的な枠組みに収まらない広大な聖典と位置づけることを明らかにした。 最終年度に当たるH28年度は、『菩薩地』と関連の深い『摂決択分中菩薩地』が、個人の修行の成果と他人の存在の関係を論じている箇所に着目し、それを継承する『摂大乗論』や『成唯識論』における発展を分析した。本研究では、それらの文献をもとに、経験世界の根源は判断知であり、それは修行の過程で除去されること、個人の修行が完成しても他者の経験している世界は消失しないこと、経験世界は他者の判断知がある限り持続すると考えていることを明らかにした。 以上の一連の研究は、瑜伽行派の思想を哲学と倫理の相即の上に捉えなおす点に意義が認められる。
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