70 年代半ば以降、日仏伊の保守一党支配体制は急速に異なる経路を辿り始めた。この分岐の起源が石油危機による財政資源の枯渇への対応にあったことを本研究は明らかにした。公的資金の配分を巡る政官関係が異なっていた結果、官僚制優位のフランスでは資金配分の市場化が進められ、地方公選職における政権与党の基盤が弱体化した。これに対し政党優位のイタリアでは逆に公的金融を膨張させ、共産党などを取り込むことで(財政赤字を膨張させつつ)政治危機を乗り越えた。中間型の日本では、自民党と省庁の間の妥協を通じ、選挙区でのクライエンティリズムを温存しつつ中央の財政統制を強化することで自民党は統治システムを精緻化していった。
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