1958年に設立されたドイツ知的障害親の会レーベンスヒルフェ(以下レーベンスヒルフェと略す)の創設史及び展開過程を、その組織構造及びそれに付随する特殊教育界との関わりを軸として考察した。レーベンスヒルフェが組織機構を整える際、真っ先に整備したのは「親委員会」ではなく「研究者委員会」「専門職委員会」であり、これが結果的にレーベンスヒルフェの諸活動におけるインテグレーションの立ち遅れにつながった可能性がある。また、1970年代の、知的障害児者強制断種への賛成表明に代表されるような「保守化」傾向の一因になった可能性が指摘された。
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