14~15世紀の禅宗庭園の形成背景を探るべく、夢窓疎石の再評価を行った。その結果、1)夢窓が元弘3年の入洛後に作庭に関与した西芳寺庭園と天龍寺庭園で、それまで禅宗庭園を利用していなかった公家らが武家らを伴って、禅宗庭園にもかかわらず王朝文化による使用を始めた。これは王朝文化による利用ができた公家の庭園が、鎌倉末期にすべて衰退したため、禅宗庭園へと移行したことも要因と判明した。2)この禅宗庭園における公家の王朝文化による利用について、夢窓は『夢中問答集』に、禅修行に役立つことを条件に承認していた。3)そして、室町前期の庭園において、禅僧・公家・武家との文化交流が盛んになっていったことが判明した。
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