本研究は,フランス第二帝制下ジロンド県の地域権力に関して,帝制権力との関係性の維持・構築という局面に着目してアプローチすることを目的とする。そのために本研究では,前年度にひきつづき,とりわけ1855年のパリ万国博覧会をめぐって,同万博へのワイン出品をはじめ,その分析からみえてきたところの葡萄栽培業の危機に際してのボルドー大商人層(ネゴシアン)などワイン諸利害の動向に注目することにより,地域権力各層の関係を探ることとした。ここでは,商人によるワインづくりの実践的側面に着目し,またそれらをジロンド県内の地域的差異やブルゴーニュ地方との異同を視野にいれつつ分析することを試みた。この過程において,ワインづくりやワイン格付などワインをめぐる思想のありかた(=スタンスの相違)が地域権力の雄弁な表現でもあるのではないかとする考えにいたり,こうした側面の思想的異同を析出することに傾注することにもなった。 その結果,1935年の原産地統制呼称法(AOC)体制へといたる中長期的な歴史的プロセスが視野にはいることとなった。また,その観点から遅くとも19世紀中葉までには,「人工ワイン」と「自然ワイン」というワインづくりの思想にみる対立が,商人と葡萄栽培業者とのあいだの,したがって商都ボルドーと農村地域それぞれの地域権力としての自律性が,他方で商人優位のボルドー地方と葡萄園主優位のブルゴーニュ地方という地域間の対照的立場が浮かびあがった。ここで,ワインづくりにおいて従来の商人的慣行がAOC法体制の成立に深く関与したとする新たな作業仮説がえられるとともに,なぜワイン格付の思想が発展することになったのかという問題の究明や,AOC法体制が志向する生産領域の思想(とりわけ「テロワール」観)の歴史的特質をめぐりさらなる地域間比較研究が不可欠であるとの問題意識が浮上した。
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