本研究の目的は、カントの判断力理論について教育学的な再検討を行い、実践的道徳的判断において認識的要素がはたす構成的機能を分析し、道徳教育における教材や実例に求められる条件を解明することにある。 平成27年度(最終年度)は、①前年度まで取り組んできた「カントの道徳教育における実例使用の分業化」論等に関する考察を整理し、②実例概念の概念史的分析と、③道徳教育の可能性と限界を画する判断力と実例の相互連関について考察した。 「判断力の働きそのものは規則に表すことができない」というカントの思想からは、判断力の教育に対する実例の効果がきわめて限定的にとらえられていることが明らかだが、そこで問題なのは「規則に対する実例の依存性」である。つまり、実例が例示する規則がすでに知られている場合にのみ、当の実例が意味をなすという逆説的な関係である。こうした難点について、近年のカント研究等から有益な知見をえることができた。すなわち、実例を学ぶということは、その本来の意味からいえば、ある事例とそれに対応する規則の組み合わせを知るだけでなく、この両者を結びつけて、事例を規則の実例にさせる判断の仕方そのものを学ぶことを意味するという解釈である。本研究では前者を「包摂される実例」、後者を「包摂の実例」と区別し、道徳教育における両者の意義や機能についてカントの判断力論、実例論に即して分析した。 上記①については、道徳教育の可能性と限界(道徳教育はどのように/どこまで可能か)を解明する起点として、カント判断力理論の教育学的再検討がもつ重要性を示した。②については、自律的主体という近代的人間観の成立にともなって実例概念が大きく変容した経緯を解明した。③では、「道徳の教科化」およびそこに見られる無反省で矮小化された判断力重視の姿勢を批判的に検討することを通して、カント判断力理論、実例論がもつアクチュアリティを提示した。
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