アメリカ人作家ヘンリー・ジェイムズは日本に来ることはなかったが、ジャポニズムに沸くボストンのガードナー家に出入りしていた岡倉天心と知り合いとなり、日露戦争勃発時にはワシントンでルーズベルトと会談するなどして、自分が「アメリカ人」かつ「国籍離脱者」であることの意味を考える機会を得た。 同時期、彼を含む多くのボストニアンがヴェネツィアにも押し寄せていたが、彼らもまた自らの文化に行き詰まりを感じ、異文化との接触を通じて自己発見をすることを目指していた。 このように、これまで見落とされてきたジェイムズと日本の関係をたどることで、ジェイムズのみならず、19世紀アメリカ全体の文化的精神状況が明らかとなった。
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