本研究は、中国明末期の書画論を渉猟することにより、いわゆる南北宗論や書の時代性説などで著名な董其昌(1555-1636)の理論を相対化しつつ、特に当時の書法理論がいかに展開したかを探ったものである。 董其昌の理論は、自他の書画収蔵や法帖刊行事業により、擬古主義から人品重視、そして古法脱去の標榜へと変化したと考えられる。しかし、基本的には、波発のようなうねる筆線を伴う作風を重視したものであった。この傾向は、米フツに偽托された出自不明の書跡が出現したことや、豊坊『筆訣』観峰館蔵本における隷楷二体を明確に区分しない書体観とも通じていよう。明末の理論は、清初以降にない如上の志向を持っていたと考えられる。
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