太古の昔から、人は身近な死者が苦しみから開放され、安らかな状況に至ることを願い続けてきた。しかし、日本列島に限ってみても、死後の世界の観念、及びこの世とあの世の関係は、時代によって大きな変容をみせていた。 他界としての理想の浄土の観念が肥大化し、死後にそこに往生することが人々の究極の目標となった中世に対し、遠い浄土の観念が縮小した近世では、死者はいつまでもこの世に留まると考えられるようになった。おりしも庶民層までイエが拡充するする時代だった。そのため、近世社会では、固有名詞をもった供養の対象としての大量の死者が継続的に生み出されることになった。 近世人は墓地を日常的に読経の声が聞こえる寺院の境内に建立するとともに、彼岸やお盆などの折々に縁者が墓を訪れ、あるいは死者を家に招いた。死者はその代わり、普段は墓地に定住してさまよい出ないことを約束させられた。近世は、死者と生者の個別の契約にもとづき、この世の内部で両者の世界の厳密な分節化が成し遂げられた時代だった。 だがそれにも関わらず、死体遺棄・供養の放棄など、生者側の一方的な契約不履行は跡を絶たなかった。そのため、恨みを含んで無秩序に現世に越境する死者も膨大な数に上った。近世の幽霊の目的は自身の救済ではなく、復讐の完遂だった。個々の死者が明確な復讐の対象をもっていた点において、また解決に超越的存在(仏)を介在させない点において、近世の幽霊は救いから疎外されて苦しむ中世の死霊とは異質な存在だった。近世において、怨念に満ちた膨大な幽霊譚・怪談が生み出される背景はそこにあった。 不幸な死者とそれを代表する幽霊については、これまで様々な分野で研究が進められながらも、その発生のメカニズムと時代による変容については十分な解明がなされることはなかった。それを中世と近世の対比において明らかにできたことに、今年度の成果と意義があると考えている。
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