本研究では、鎖国制度の江戸時代、長崎に齎された中国絵画がどのような形で日本文化に受容していったかを検証した。①1654年に来日した隠元の携えて来た、曾鯨により興った肖像画派波臣派の一人張琦の描いた「費隠通容像」の影響下に成された日本の黄檗画像の検証。②1731年、日本に渡った沈銓の帰国後の中国での弟子達の画業の調査。③文人画家田能村竹田や賴山陽の追慕した中国人画家達の当時の中国での立ち位置の検証。これらの調査により、取分け、蕭雲從によって編まれた『太平山水詩画』中に描かれた図と、実風景との綿密な比較検証が行われた事は、江戸時代の文人画家達の絵画形成の謎を探る上でも貴重であった。
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