星曼荼羅などの星宿図と、四季絵や月次絵などの歳時図は、前者を密教画、後者を装飾画として独立したジャンルに分類するのが一般的であり、両者を共通の問題意識によって包括的に取り上げることはほとんど行われていない。しかし、両者の中心モチーフとしてしばしば描かれる日月星辰表現に注目し、それらを「時の視覚化」という統一的な観点から画面分析すると、そこには「時間絵画」とでも呼ぶべき共通の枠組みが存在していることに気づく。本研究は、そのような観点から絵画を分析することの可能性を探る試みである。 本年度は、月を描く近世以降の絵画を取り上げ、月の形状と時間との関係を中心に考察した。これは、昨年度に月を描く近世絵画を取り上げたことの延長線上に位置する。近世絵画は旧暦世界で描かれており、旧暦世界の価値観を留めている。時間の感覚も例外ではない。新暦の下で制作された近代絵画は新暦の時間感覚を示すとみなされ、近世絵画と近代絵画の連続性は希薄であると予想される。しかし、例えば、近代版画の分野で活躍した浅野竹二の「中之島公園夜景(新大阪風景之内)」は、新時代のモダンな大阪風景の中に満月をモチーフとして取り込んだ夜景図であるが、数理天文学の知見を援用して画面を解釈すると、そこには新暦世界の合理的な時間感覚は盛り込まれていない。旧暦で親しんだ月に対する叙情的な感性がそのまま表現されている。これについては、現在企画中で夏期開催予定の展覧会の図録に論文を掲載すべく準備を進めている。 研究期間全体を通じて実施した考察において、中世絵画や近世絵画、宗教絵画や世俗絵画などの各種の区分け、つまりジャンルに拘泥しては、星辰美術の豊かさは解明できないと実感した。ジャンルの積極的越境がなければ、近代版画家である浅野竹二の作品の興味深い満月の表現について考察することもなかったからである。ジャンル越境の重要性を再認識した。
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