佐賀・アジア主義人脈のふたつの流れ、ときに強い反発を招いた大隈重信の合理主義と江藤新平、島義勇らの狂おしいまでの非合理的な熱情、このふたつの極端の間で揺れ動きつつもアジアへの独特の思いを貫いたのが佐賀・九州出身の明治の青年たちであったことを明らかにした。佐賀・九州出身の副島八十六(大隈の側近・南洋・インド専門家)、田中丸善蔵(南洋貿易にも大きな役割を果たした佐賀出身実業家)、石橋正二郎(久留米・世界的企業ブリ ジストン創業者)らの近代南方進出に果たした郷土人脈の役割に着目、彼らの抱いた南方イメージと開拓精神を、地方の視点から検証・再定置した。
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