本研究は、リスク社会における個人像としてリベラリズムが想定する自律的な個人像ではない非自律的個人像を想定した社会理論の可能性を検討した。対象としたリスクは発生率不明のリスクである。本取組みにおいて最難であり且つ典型となる問題として未知の帰結を孕んだ人を対象とする臨床研究の規律問題を挙げ、米国における議論(ベルモントレポート)および生殖細胞に手を加える生殖補助技術の実践・利用への規律に対する正当化問題に取組んだ。ここからリバタリアン・パターナリズムが取り組む制度的アーキテクチャーによる規律のあり方とその理論構築の可能性を問い、安心(不安)という集合的概念を正義論の俎上で検討する必要性を示した。
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