本研究は、中高年者を対象とした大規模パネルデータを用い、労働市場からの引退が身体的・精神的健康状態や社会参加、生活習慣に及ぼす効果を測定するものである。健康状態の悪化が引退の主要な決定要因であることは広く知られた知見であるが、引退から心身の健康状態など様々なアウトカムへの効果については、相反する結果が先行研究でも報告されるなど、まだまだ不明な点が多い。 本研究では、引退が個人の行動や健康に及ぼす効果を計量分析によって識別し、働く意欲や能力がある高齢者が外生的な理由で引退する場合の健康への効果を明らかにし、高齢者雇用に関する政策提言の根拠となる知見を得ることを目的とする。ところで、健康状態、経済状況、家族環境、生活習慣、余暇活動などは、引退と内生性を持つと考えられ、それらが後の健康状態にも影響を及ぼすと考えられる。 本研究では、年金適格年齢を操作変数とした計量分析を行い、それと並行し、日本特有の年齢による厳格な「定年制度」を利用して回帰非連続デザインを用いた分析も行った。いずれの分析においても、引退直後のインパクトとその後経年に従って徐々に起こる変化を識別した。主観的健康感と精神的苦痛の有無、喫煙・飲酒・余暇における身体活動の3つの生活習慣をアウトカムとし、操作変数を用いた分析から、引退は健康や生活習慣に概してよい効果をもたらすことが明らかになった。男性の場合、引退直後身体活動を増やし、身体的・精神的健康状態が好転した。身体活動と精神的健康はその後も年を追って好転していた。また喫煙確率は引退後徐々に減少していた。女性の場合、経年的な変化よりもむしろ、引退直後に身体活動を増やし精神的健康状態を好転させていた。
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