本研究では、20世紀前半の日中両国を代表する国際的、知米派知識人として、朝河貫一と胡適に着目し、両者の間にみられた思想的交流の一端を明らかにした。朝河と胡適は1917年夏、偶然にも帰国の途についた際、バンクーバーから同じ汽船に乗り合わせていた。この点については、これまで胡適の評伝などで簡単にふれられたに過ぎないが、朝河と胡適の資料を読みあわせ、両者が航海中に親交を交わし、その後も連絡をとっていたことを確認することができた。この朝河と胡適の交流は、近代日中思想交流史上においても、重要な一環をなしていると考える。
|