本研究の目的は、石炭産業および炭鉱労働者の生活実態に関する各種の文書資料の調査、産炭地域内外に居住する炭鉱離職者とその家族・関係者へのインタビュー調査をもとに、炭鉱閉山という地域社会の劇的な変化がそこで暮らす人々にいかなるものとして経験されてきたかを検討することにある。そして、戦後日本の社会変動がいかなる構造的暴力として人々に経験されたかということ、また、そうした状況の只中で人々が生き抜くために行ってきた実践と共同性について明らかにしてきた。 具体的には、杵島炭鉱が存在した佐賀県杵島郡大町町と常磐炭鉱が存在した福島県いわき市を事例地として、炭鉱閉山後の地域社会の変化と、地域振興を巡るそれぞれの場所での試行錯誤について調査・検討を進めるとともに、炭鉱閉山後に両地域から産炭地域外へと移動した炭鉱離職者とその家族の状況についても調査・検討を行った。炭鉱閉山という出来事が彼らの人生にいかなる影響を与えたか、また、彼らがどのようにして新たな生活を模索し、新たな社会関係を築き上げてきたのかを考察した。 炭鉱離職者を巡ってはこれまで、「高度経済成長の最初の生贄」といった表現に象徴されるように、その受苦の側面について議論が蓄積されてきた。本研究もまた、そうした側面を事例に根ざして確認するとともに、彼らを多様で自律的な行為主体として捉え直すことで、産炭地域の内外で離職者や関係者が構築してきたネットワークが生業の確保やアイデンティティの維持・更新を支える重要な資源となってきたことを検討した。以上の作業は、体験者の高齢化や減少、月日の経過が産炭地の「過去」を「歴史」に変えつつある現在、高度経済成長の裏面をなすもう一つの「戦後」史を展開していくために不可欠なものでもある。
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