本研究では、「対米協調」路線を進めていた池田政権が、なぜ米国が敵対視するカストロ政権と国交を維持したのかを探り、この政策形成過程の実証的な分析を行うことを目的とした。今回、次のことが明らかになった。1) 池田政権の対キューバ外交は特殊ではなかった。2) 占領期以降、日本はキューバ糖に大きく依存し、この状況が対キューバ路線を左右した。3) 1950年代後半から日本はキューバと通商条約の交渉を進めたが、進展はななかった。しかし、この状況はキューバ革命後大きく変わり、1960年には通商条約を締結した。池田政権は米国の対キューバ強硬路線で念願の条約を失うこと恐れ、キューバとの国交維持した。
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