本研究の目的は、体育教師を現象学的身体論の視点から捉え、彼らの身体が担っている実存的意味を明示することであった。従来論じられることのなかったその実存的意味を開示することは、技術的方法論が先行する今日の体育教師論に対して、現実に児童・生徒とともに生きる体育教師の身体という、新たな研究対象の可能性を示すことになる。体育教師の身体は、世界内存在として体育授業という世界に在る。その身体の働きは、体育授業に住まい、さらには児童・生徒とともにその世界を変容していこうとする、視線の動きや「怒り」の表現等の実存的な身体的行為として現れる。それらの行為によって、体育教師は自らの実存を安定させているのである。
|