最終年度は、前年度に引き続いて、戦前の国際法思想、安全保障論に関する研究を踏まえて、戦後平和主義の研究、そして、安全保障の観点に基づく戦後原子力開発の研究を行った。 【近代日本の安全保障政策構想と日米安保体制に関する研究】戦前戦後の安全保障政策構想を通時的に把握し分析することで、戦前立憲主義が敗戦を経て平和主義という国際立憲主義に転換したことの意味を解き明かした。満州事変以後、「大東亜共栄圏」建設を掲げるまでに激化した対外膨張に比例して、天皇大権を代位する実質的統治主体を生み出す近衛新体制運動が起こり、その運動の挫折、帝国憲法体制の崩壊による「敗戦」が主権を超えた普遍的安全保障機関(国連)に帰属することで自己を制限しようとする主権意思(国際立憲主義)を生み出す契機となったことを明らかにした。以上の研究成果を『立憲主義の「危機」とは何か』(すずさわ書店)の刊行という形で公表した。 また、公表が遅れていた「戦前戦後改憲論に関する研究」の成果を『立命館文学』への掲載という形で公表した。上記の研究以外にも「戦後原子力開発に関する研究」の計画にも着手し、小路田泰直他編『核の世紀』での論文掲載という形でその成果を公表することができた。その要旨は以下の通りである。 【戦後原子力開発に関する研究】戦後の吉田茂内閣、鳩山一郎内閣、岸信介内閣の第9条に関する憲法解釈と防衛政策の検討を通じて、原子力開発体制が潜在的な自主防衛体制であることを明らかにした。岸信介内閣が核兵器合憲論を打ち出すとともに、国連中心主義、日米安保中心主義、平和主義に基づいた「国防の基本方針」のもとでの防衛力整備を進めたのは、秘密裏に核武装の潜在能力を確保するためであった。自主防衛力は日米安保体制が解消された場合の核保有のオプションとして構築されていたのである。
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