研究概要 |
二年に及ぶ本研究は, 1946年1月4日, マッカーサー総司令部から日本政府に対して指令された公職追放令, SCAPIN-550(好ましからざる人物の公職からの除去及び排除)および同548(政党・協会その他の団体の廃止)の形成・決定過程, 実施過程, 終結過程の解明を目的とした. 戦後期における日本の非軍事化・民主化の中で公職追放(パージ)は決定的な役割を果たしたにもかかわらず, 従来日本やアメリカでは未研究状態にあった. その意味で本研究は限定されているとはいえ, 学問的貢献を果たしたと思われる. まず追放令の形成過程では, (1)従来548が主体をなしていたが, 総選挙が近ずくと逆転して550がより重要となった. (2)当初ドイツ案を模範とした追放案は最終的にはかなり異なった内容へと変化した. (3)超国家主義者に対する厳罰主義はGHQ内部の抗争も絡んで結局緩和されるに至った経緯が解明された. 次に実施過程では, 日本側審査委員会がGHQの監視の下に追放決定にあたり, 1948年3月までに約20万人もの日本人が公職追放に処せられた. この間には石橋淇山の事例のような政治的追放も存在した. そして終結過程では, 冷戦の進展に伴なうアメリカの対日占領政策の転換が追放令の終結に影響を及ぼしたばかりでなく追放者の解除を促すに至り, 日本政府は朝鮮戦争と対日講和問題を背景に旧軍人や政治家の追放解除を急速に実施し, ついに対日講和条約の発効した1952年4月, 公職追放令は廃止され, その歴史に幕を終ろすまでの経緯を明らかにした. 総じて, 公職追放は単に日本対GHQないしアメリカ政府の枠内だけではなく, 日本政界内部の確執としう観点からの研究視点の必要性を痛感した.
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