本研究においては、調査対象を愛媛県上浮穴郡柳谷村の原居住者に設定しこの地域を調査すると共に、ここを中心として人口流出の対象となっている地域の代表である松山市における調査及び、関連する四国山村地域や関連資料の収集を行なった。山村生活の変容プロセスの調査によれば、昭和40年代後半以降山村から都市への人口流出現象が顕著化する状況にあって、都市山村の二拠点型居住が発生したといえる。この二拠点型居住とは、各家族にあって、老若の二世代が、山村と都市とに分担して住居を構えることによって、山村側からは子弟の教育、医療、買い物の便や、他の広域的就労機会などの利便的基地を都市に求め、都市側からは山村の山林資産管理及び林産経営、共同体の維持、生活慣行の維持等を求めることによって、山村-都市両者の生活を、直系大家族のライフステージに応じた分担協力関係によって維持展開しようとする新らしい定住概念の発生とみられる。調査では柳谷村西谷地区の奥地集落群の103戸のうち、実に松山市に住居を有する家族はその41%に及ぶことが明らかになり、これらの居住様式が確立していることが明らかになった。さらにヒアリング等の調査によって、これらが母村密着型56%、母村拠点広域型38%、都市拠点型6%等の生活類型に分類できることが明らかになり、さらに種々の生活特性や、山村経営上の問題点や今後予測できるいくつかの社会的問題が明らかになった。 次年度以降の研究課題として、逆に調査の中心を都市側におき、都市生活の観点から、山村に関わる生活の実態と特性・問題点を明らかにし、また、次世代以降に関わる将来の問題や、山村振興等の地域計画・地域政策との関連を明らかにしたい。
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