研究概要 |
クチジロジカの形態・分布・行動・食性に関する研究, 青海・チベット高原における有蹄類相に関する研究, およびチベット遊牧民のヤク・ヒツジ牧業における環境利用に関する研究を行った. それぞれの成果は「研究発表」の項, および別添成果報告に示すように8篇の論文としてまとめた. その概要を研究発表の項の順(=成果報告の目次の順)に述べる. 1.クチジロジカの形態:本種の形態に関する報告は, これまで2〜3の標本に基づく断片的なものしかなかったが, 今回頭骨36例・角46例・飼育個体59例を用いて調べた. 6歳以上のオス成獣の平均体重は205kgであり, 体測値や頭骨の大きさおよびそれらの加齢変化は中型のアカシカと同程度である. 本種の特徴として, 子ジカは出生直後1カ月半のみ白斑を持つこと, 頭骨の幅が広く眼下腺窩が大きいこと, 大臼歯のパラスタイル・メソスタイル・メタスタイルが発達していること, 角は最大で7尖131cmを示すが角枝はほぼ並行してならぶことなどが挙げられる. これらのことは, 本種がニホンジカよりも未分化でルサ亜属のシカに近いこと, および高寒高原に特殊化した形態を持つことを示している. 2.クチジロジカの分布および個体群動態:青海省・四川省・チベット自治区にまたがる調査域での結果に従来の断片的な情報を加えて, 主として標高4000〜5000mに生息する本種の暫定的な分布図を作成した. 発見した9群250頭余りの群れ構成・養鹿場での調査・現地での聞き取りによる, 10月発情・6月出産・1産1子・2〜3歳初産・メスの繁殖年齢12〜14歳まで・高質個体群が多いことなどが判った. 3.札陵湖周辺個体群の現状と保護について:札陵湖中の島および同湖北東岸一帯35km^2を生息地とする1群25頭に関する生態的調査を行った. 同地域にはこの群れを含む100頭足らずのクチジロジカが生息しているが, 他から隔離され, 家畜と競合関係にあり, 高い人間の捕獲圧にさらされている. 家畜が急激に増加していること, および夏期の中の島以外に逃げ場のないことから, 特にこの地域の個体群については保護策を急ぐ必要がある. 4.クチジロジカの食性:3地域からの糞および胃内容1例を分析した結果, 主成分はイネ料(一部カヤツリグサ科)であり, 稈・鞘が過半を占めていたことから, 本種がgrazerであることが示唆された. 5.養鹿場におけるクチジロジカの行動:59頭が放牧されている治多養鹿場および11頭が8800m^2の棚内で放牧されている石渠養鹿場において社会行動学的調査を行い, 音声についてサウンドスペクトルグラムによる分析を行った. その結果発情期のオスのディスプレーがニホンジカ・アカシカと比較して単純であること, メスもwallowingをすることなど, 本種の社会進化が未発達なレベルにとどまっていることが示された. 6.青海・チベット高原東部における有蹄類個体群の現状:1985年の予備(的)調査と1986年の調査で得られた同地域の各種有蹄類;クチジロジカ・アカシカ・チベットガゼル・フルーシープ・チベットノロバなどの分布・環境利用・群れ構成について特析を行った. 7.中国産シカ類に関するレビュー:クチジロジカ・アカシカの進化系統分類学的位置づけを行う一環として, 20種の中国産シカ亜料について環境利用を調べた. 近年の中国の文献および研究者の情報に基づいて検討を行った結果, 中国全域にわたってすべてのシカ類の分布状況をほぼ明らかにすることができた. 8.チベット族のヤク・ヒツジ牧業:青海・チベット高原のクチジロジカ・アカシカを含む有蹄類本来の生息地の80%は, チベット遊牧民によるヤク・ヒツジの牧地として利用されている. 野生動物の本来の生息状況を復元するためにも, これまで全く知られていなかった当地域のヤク・ヒツジ牧業の現状について, 同地域における見聞と現地で入手した文献に基づいてまとめた.
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