昨年度は、ウィリアム・モリスを中心としたデザイン運動の母胎が、ラファエル前派の絵画運動にあったことを見た。本年度は、その後のデザインの展開を、アーツ・アンド・クラフツ・ムーヴメントの中で考察した。この運動は、その後、大陸におけるアール・ヌーヴォー誕生の契機となるなど、デザイン史上、重要な役割を果している。しかし、それだけではない、きわめて今日的な問題を内包していた。アーツ・アンド・クセフツ・ムーヴメントは、マルクスの一年後に生まれたジョン・ラスキンに多大な影響を受けており、それは、機械を前にして人々が感じていた危機感が生みだした社会的、かつ倫理的な運動であった。技術の進歩が必らずしも人類の幸福と一致するわけではないという最初の工業国での認識は、近代産業が導入されていった国々でさまざまな論議を生み、現在に至っている。経済学が生産財の所有形態をめぐっての論争であった19世紀に、ラスキンは「経済学の究極の目的は、あらゆるものを立派に用いることである」と語ったのである。この言葉は現代日本の消費社会を考察するうえでも示唆深い。彼は中世のギルドを夢見ながら、20世紀を透視していた一面がある。 ラスキンに刺激されて若いクラフツマンが次々と新しいギルドを設立した。センチュリー・ギルドの意図を伝える美しい雑誌『ホビィ・ホース』なども魅力的であるが、とりわけ心惹かれたのは、チャールズ・ロバート・アシュビーの実験であった。彼は150人の人々とともにチピング・カムデンで、工芸による村おこしの運動を始めた。交通の不便が命取りになって、カムデンのギルドはたった6年間で破産してしまうが、第一次世界大戦が始まる1914年まで農作業とともにクラフトの仕事を続けていた職人たちもいたのである。 次年度は、文芸とデザイン運動の接点についても、まとめてゆきたい。
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