2006 Fiscal Year Annual Research Report
マムルーク朝後期エジプト・シリアにおけるイクター制の崩壊過程と社会体制の変容
Project/Area Number |
05J02386
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Research Institution | The Toyo Bunko |
Principal Investigator |
五十嵐 大介 (財)東洋文庫, 研究部, 特別研究員(PD)
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Keywords | 中世史 / イスラーム / マムルーク朝 / 土地制度 / 財政史 / 寄進 / エジプト・シリア |
Research Abstract |
論文「『国有地ワクフ』をめぐるイスラーム法上の議論」では、オスマン朝期アラブ世界におけるワクフ(寄進)地に関する法理論「イルサード論」の成立過程とその背景を以下のように明らかにした。(1)土地のワクフ寄進は、古典的な「国家的土地所有理論」とワクフ理論との整合性の上で矛盾を含んでいた。(2)しかし12世紀以降多数の宗教施設が支配層によって建設されると、その財源として国有地を財源に寄進する「国有地ワクフ」が広まった。それは、君主がマスラハ(公益)に合致すると判断したならば合法であるとする論理により、正当化された。(3)14世紀後半以降、ワクフ制度が有力者の財産保全手段として濫用され、国有地の売却とワクフ化が進行したことは、既存の国家体制を脅かした。しかしワクフを生活基盤としていたウラマーは、マスラハ論と判決の既判力を盾にその正当化に努めた。(4)最終的にマムルーク朝末期の法学者スユーティーが、ウラマー(知識人)は国庫から糧を得る権利を有し、国有地ワクフは国庫からの直接支給の代わりとしてウラマーが糧を得るための手段として存在する、彼らの本来の取り分であるとする論理によって、かかるワクフを観念的に国庫に属し続けている「イルサード」として再定義した。 論文「マムルーク朝末期の財務行政」では、同王朝末期の君主カーイトバーイの時代を境として、君主の直轄財政が軍事・行財政運営における中心的役割を担うようになり、国家の諸財務官庁もまたその影響下に置かれ、その財政支援によって維持運営されるようになったことを明らかにした。 また当該年度には、平成18年6月、ヨルダンのアンマンで開催された「第二回中東学会世界大会(WOCMES)」に参加した。同じく平成19年1〜2月に約二週間のエジプトへの文献調査旅行を実施し、国立公文書館、ワクフ省文書局において資料の調査・収集に努めた。
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Research Products
(2 results)