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2000 Fiscal Year Annual Research Report

擦文文化からアイヌ文化への雑穀農耕の継続性

Research Project

Project/Area Number 10610405
Research InstitutionHistory Museum of Hokkaido

Principal Investigator

山田 悟郎  北海道開拓記念館, 総務部, 主任学芸員 (00113473)

Keywords畠 / 畝跡 / 駒ヶ岳D火山灰 / 栄浜2遺跡 / 声問川右岸2遺跡 / 寄生虫卵
Research Abstract

前年度に続き、今年度も近世初頭の畠跡が道北の稚内市声問川右岸,2遺跡、および八雲町栄浜2遺跡で発見されたので、野外調査を行うとともに土壌中に含まれていた炭化植物遺体と花粉分析を行った。
声問川右岸2遺跡:声問沼と海岸線の間に発達した砂丘上で発見されたもので、砂丘砂によって覆われた4列の畠の畝跡であることが確認できた。周囲からは18〜19世紀の金属製煙管、石製煙管、ガラス玉、金属製飾り金具が出土しており、畠跡もその頃のもと推定される。
畝跡表層から採取した土壌試料中からは、イネ科穀物(磨耗と損壊で種名は特定できなかったが、アワ、ヒエ、キビのいずれかと推定される)、キハダ、マタタビ属、エゾニワトコ、タラノキ属、アカザ属などの野生種の果実種子も検出された。
八雲町栄浜2遺跡:噴火湾岸に面した標高20〜40mの段丘上から、1640年に噴出した駒ヶ岳D火山灰に埋積された畝をもった畠跡が発見されたた。約2,000m^<2の>発掘区域のうち、50×30mの範囲で畠跡が確認されているが、更に拡大する可能性が強い。畝表層の土壌を採取して花粉分析を行ったが栽培種の花粉は検出できなかった。しかし、寄生虫の吸虫卵がプレパラート中に含まれており、施肥を行っていた畠であることが明らかとなった。
両遺跡で発見された畠跡は、在地のアイヌ民族によったものか、本州から渡道した和人によったものかは不明であるが、両地域にはアイヌ民族の集落が存在していた。アイヌ文化期に行われた農耕は、鋤先や鍬先といった鉄製の農具を使用せず、したがって畝をもった畠も造らず施肥もしない、極めて粗放的なものであったされてきたが、実態は異なりそうである。

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Published: 2002-04-03   Modified: 2016-04-21  

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