2000 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
12750573
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Research Institution | Kanazawa Institute of Technology |
Principal Investigator |
冨島 義幸 金沢工業大学, 工学部, 講師 (80319037)
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Keywords | 中世 / 仏教建築 / 顕密仏教 |
Research Abstract |
顕密仏教という視点から中世仏教建築およびその空間について考察し、主として以下の成果をえた。 1.平安時代の阿弥陀堂に反映された両界曼荼羅の理念-平安時代の阿弥陀堂は、一律に浄土教建築として、密教建築に対置される建築としてとらえられてきた。しかし、12世紀半ば以降、これらのなかには密教の両界曼荼羅という理念に基づいてその空間が構成されたものがいくつも認められ、阿弥陀堂と密教が密接に結びついていたことを明かにした。また、こうした両界曼荼羅の理念に基づく阿弥陀堂が、院政期に院と仁和寺御室との密接な関係によってあらわれたことを指摘した。 2.中世平泉の仏教建築と顕密仏教-奥州藤原氏による平泉の建築と同時代の京都の建築とを、建築形式・安置仏・法会を中心に比較・検討した。平泉の建築文化は、個別の建築形式は京都の影響を強く受けているが、平泉の仏教建築の総体としての在り方は、京都で密教建築が隆盛したのに対し、平泉では密教と関わる建築がほとんど認められず、ここに平泉の仏教建築文化の特質があると指摘した。(冨島義幸「平泉・建築とその空間」として、ふれあい歴史のさと事業推進委員会他『平泉文化フォーラム2000瓦からみた平泉文化』〈於平泉ホテル武蔵坊、2000年9月23日〉において発表、同梗概集〈同年9月、61-78頁〉に掲載) 3.相国寺七重塔建立の意義について-足利義満が建立した相国寺は禅院としての側面が強調され、七重塔建立の意義は明かにされていなかった。七重塔の安置仏、供養会の空間について考察し、顕密仏教の塔として建立・供養されたことを明かにし、義満の七重塔建立の意図が、室町政権が顕密仏教を統括する新たな体制を象徴することにあったことを指摘した。(冨島義幸「相国寺七重塔について」として、日本宗教文化史学会第4回大会研究発表〈於京大会館、2000年11月25日〉において発表)
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Research Products
(2 results)