Research Abstract |
「鉛の付着実験」と「ルパート王子の滴」の2つの実験について,その起源,所出文献を追跡し,それらが,18世紀ヨーロッパのニュートニアンたちによって「公開科学講義」で取りあげられ,その後の欧米の物質教育に受け継がれ,教材として発展したことを明らかにした。 また,わが国では,2つの教材ともに,断続的な欧米の科学,科学教育の移入をとおして紹介され,互いの紹介に継続性がないことを明らかにした。 1 江戸時代末期(1830年代)にわが国に紹介された「鉛の付着実験」は,欧米においてはニユートンの粒子論を証明するものとして注目され継承されたが,わが国では,その後形を変えて断続的に1880年代,1960年代に欧米の文献から紹介され直した。その起源とわが国での何度かにわたる紹介については,すでに永田の「凝集力教材の起源と史的教材解釈」『日本理科教育学会研究紀要』vol.21,no.1,1980に報告した。当該研究ではさらに,欧米では同実験が,18世紀ニュートニアンの科学啓蒙活動,科学講座で広がり,その後も継承発展させられたことを明らかにした。 2 また,「ルパート王子の滴」は,ロバート・フックの粒子論とともに知られているが,これも18世紀ニュートニアンの科学講座で取りあげられ,さらに,鉛の付着実験と対をなす実験として継承発展させられたことを明らかにした。 3「ルパート王子の滴」は,明治になる直前に「バタビアの涙」として紹介され,島津源三はじめ日本の理化学器械製造業者によっても製造販売が続けられたことを明らかにした。 4 しかしながら,1950年代になって,同滴と鉛の付着実験とが対をなすものとして取りあげられたファラデイの科学講演がわが国で紹介された時には,同滴の製造販売が中止された後であったことを明らかにした。
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