2014 Fiscal Year Annual Research Report
極東国際環境の中の日本と中ソ関係(1920~40s):「相互認識」への視座と共に
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14J00843
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Research Institution | Kyoto University |
Principal Investigator |
伊丹 明彦 京都大学, 人間・環境学研究科, 特別研究員(DC2)
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Project Period (FY) |
2014-04-25 – 2016-03-31
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Keywords | 戦間期東アジア / 国際関係 / 中ソ関係 / 日本 / 相互認識 / ワシントン体制 / ラデック / スクヴィルスキー |
Outline of Annual Research Achievements |
本研究は、極東国際環境の中で日本との関連に注意しつつ中ソ関係(1920~40年代)について、1920~30年代を中心として考察すること、またその際、中国とソ連の互いの認識についてその国際政治上の意義に注目しながら分析することを目標としている。本研究を進める中で明確化していった問題意識は、将来の戦争(日中戦争、日ソ戦争、日米戦争など)にかんする当時の為政者たちの認識が中ソ関係、あるいは日本による華北侵略など極東国際関係の動向に及ぼした影響である。こうした問題意識は先行研究でも示されていることがあるが、本研究ではソ連側史料を主に、多くの新たな史料に基づき、より具体的なかたちで明確に打ち出すことが可能となっている。以下がその具体的成果である。 一)ソ連の極東政策を検討するための一つの重要な手がかりとして、1932年からの数年間スターリンの意向のもとで国際問題にかんする情報を扱う組織の責任者となっていたラデック(Karl Radek。ラーデクとも表記)に注目した。その際、とくにРГАСПИ.Ф.558(ロシア国立社会政治史文書館のスターリン個人文書群)に含まれている1932年9月のラデックのスターリンに対する報告を検討した。この報告は「日米間の矛盾(対立)」の行方を努めて客観的に予測していたが、これはソ連またはスターリン個人の関心を反映するものであったといえる。というのは、極東にかんするソ連あるいはスターリン個人の基本的な戦略は「日米間の矛盾(対立)」を利用することによって自国の利益を最大化する点にあり、将来における日米戦争勃発を期待するものであったからである。 二)ワシントン体制との関連で、ソ連駐米非公式代表という地位にあったスクヴィルスキー(Boris Skvirsky)という人物に焦点を置き、「日米分断」を目標とするソ連外交のアメリカ外交に対する働きかけとその影響を考察した。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
本研究の学術的価値を高めるためには、先行研究を咀嚼しつつ自己の問題意識を明確にしていきながら、とくに新史料に基づくことが重要であると考えられた。この点にかんしては、幅広い文献を渉猟する中で問題意識を明確にしつつ、主に新たなロシア語史料の利用により、独自の研究領域を開拓することができた。以下はその具体的な説明である。 1930年代のスターリン体制にかんする研究では、最近、ロシアやヨーロッパの研究者の間で、主に冷戦期アメリカを中心とする欧米の伝統的なソ連研究の手法に基づきつつ、1990年代以降ロシアで新たに公開されている史料を用いた業績が幾つか出ており、その中でとくにスターリンにとってのラデックとその国際情報分析の重要性が明らかにされている。だが、そこで扱われる話題はソ連とヨーロッパの関係を中心としており、東アジア国際関係との関連では研究が深められていなかった。これに対して、本研究が注目しているラデックの活動は日米関係という太平洋の問題にかかわるものである。東アジア国際秩序とソ連の関係という大きな問題関心に対して、研究上の新機軸を開くものである。 中ソ関係については、後述の【今後の研究の推進方策】で述べているように、1930年代、日本の華北侵略が進む状況下における動向を中心に、研究を進めている。ここでも、先行研究の蓄積を踏まえつつ、新たなロシア語史料の利用によって、研究が進展する見込みとなっている。 以上により、本研究はおおむね順調に進展しているといえる。
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Strategy for Future Research Activity |
一)ワシントン体制に対して、日本国内の反ワシントン体制派とソ連・コミンテルンは、東アジアにおける英米の世界秩序を打破しようとする志向において一致していた。この一致の構造は、満州事変を契機とする日ソ間の軋轢増大と米ソ関係の進展が見られる中で、様々なかたちをとりながらも、ワシントン体制の崩壊からアジア・太平洋戦争へと続く歴史の展開において重要な意味を保ち続けたように思われる。日本国内の反ワシントン体制派のうち重要な政治勢力としては、①1920年代の後藤新平を核とする親ソ派の人脈、②1930年代の永田鉄山を核とする陸軍統制派の人脈、③1930年代に近衛文麿のもとに結集した「革新」派の人脈、④海軍があげられる。このなかで、本研究では、1930年代前半から半ばの日本の華北侵略という文脈のなかにおける陸軍統制派とりわけ鈴木貞一という人物に焦点をあてる。 二)1930年代半ば、日本が華北侵略と対ソ戦備を進めていくのに対して中ソ両国の接近が図られる状況下で、1934年に蒋介石の個人代表としてソ連に派遣され、1936年には駐ソ大使となった蒋廷黻という人物の活動およびその対ソ認識に注目している。 三)蒋廷黻とほぼ同じ時期にモスクワでアメリカの駐ソ大使をしていたブリット(Wiliiam Bullitt)のほか、国務省極東部長のホーンベック(Stanley Hornbeck)、ローズベルト大統領、駐中国公使のジョンソン(Nelson johnson)らの国際情勢分析、とりわけソ連の極東政策に関する分析に注目し、その意義を考察する。同時に、ソ連の駐中国大使のボゴモロフ( Dimitri Bogomolov)の動向にも注目する。 四)РГАСПИ.Ф.495(ロシア国立社会政治史文書館のコミンテルン文書群)の文書のうち、中国に関係する文書(新史料)を集めている。とくに、1930年代前半に駐コミンテルン中国共産党代表などを務めていた王明という人物にかんする文書に注目している。
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Research Products
(3 results)