2015 Fiscal Year Annual Research Report
フランス第二帝政期における修道院寄宿学校の盛衰と女子教育の変容
Project/Area Number |
15J00456
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Research Institution | Kyoto University |
Principal Investigator |
山内 由賀 京都大学, 人間・環境学研究科, 特別研究員(DC2)
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Project Period (FY) |
2015-04-24 – 2017-03-31
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Keywords | フランス女子教育 / 修道院寄宿学校 / 女子教育修道会 / フランス第二帝政 / 教育史 / ウルスラ会 / 聖心会 |
Outline of Annual Research Achievements |
本年度は、従来のフランス女子教育史研究において修道院寄宿学校の存在が看過され、第二帝政期の女子教育史研究は充分に行なわれていない状況を重視し、修道院寄宿学校への関心を阻んできた史料的制約を克服することを試みた。 そこでまず、1860年に発行されたウルスラ会の『規則集』と、1852年に発行された聖心会の『学習計画』の分析を行った。女子修道院寄宿学校では宗教が教育の根幹にあり、そのことによって教科に制限がされ、男子教育とは大きく異なっていた。だが、修道院寄宿学校側にとっての知育は、即ち男子教育と同じものを意味していたわけではなく、女子教育にとっての知育は、宗教教育を根幹に据え、宗教的題材を用いてあらゆる科目を教えることが知育であり、宗教教育そのものが知育の役割を担うものであったことが明らかになった。 次に、フランスの女子教育が公教育化される以前の第二帝政期における皇后ウージェニーと公教育大臣ヴィクトール・デュリュイによる女子教育の試みについて考察を行った。フランスの女子教育にとって、第二帝政期は女子教育の公教育化へとつながる重要な時期であるが、女子教育の最大の支援者であった皇后ウージェニーに着目し、女子中等教育講座の開設と女子医学校設立案という二つの女子教育の試みを検討した。その結果、以下のことが明らかになった。デュリュイは女子教育の改革として「講座」を開設し、ウージェニーの支援を得ながら女子教育の世俗化に取り組んだ。さらに、ウージェニー自身の提案による女子医学校設立の計画は、女性高等教育への接続を可能にする試みであり、これらはいずれも公教育化への一歩を示すものであったといえる。第二帝政期、さらに第三共和政期以降における女子教育の種々の発展にはデュリュイとウージェニーの作用が不可欠であり、第三共和政期の女子公教育化への流れを形作るものであったと位置づけられる。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
本研究が目指すのは、「1.修道院寄宿学校での女子教育のあり方はいかなるものであったか。2.修道院寄宿学校での女子教育が女子公教育へのいかなる影響を及ぼしたのか。3.19世紀フランスの女子教育の例にみる宗教が教育を担うことの意味。」という3点を明らかにすることである。従来のフランス女子教育史研究の多くは主として制度史研究であり、女子教育の実態及び「私」から「公」への変遷を論じた研究活動が活発であるとは言いがたく、19世紀の女子教育の中心であった修道院寄宿学校という制度に目を向けると、その存在に焦点をあてた研究例はほとんど見受けられない問題がある。特に、修道院寄宿学校の存在は看過され、第二帝政期の女子教育史研究は充分に行なわれていないが、本年度はこれら諸問題を克服し、研究課題について計画通りに取り組むことができた。 具体的には、世界的な組織である女子修道会アーキビスト連盟に所属するシスターたちと定期的に連絡をとることで、貴重な修道会内部史料を入手し、修道院寄宿学校での女子教育のあり方について考察を行った。また、私的領域にて行なわれるべきとされた女子教育が公教育化によって教会の手から離れたことは、間違いなくフランス女子教育史における最も重要な変化であるが、この転換点について従来のデュリュイとその「講座」を中心とした考察ではなく、皇后ウージェニーにも焦点をあてることで、女子高等教育にも及ぶ幅広い議論を明らかにした。そのことによって、第三共和政期の女子公教育化への流れを明確に示し、修道院寄宿学校での女子教育の女子公教育化への影響を明らかにすることができたと考える。
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Strategy for Future Research Activity |
今後の研究においても、第二帝政期の修道院寄宿学校の盛衰に着目しながら、第三共和政期へ女子教育が変容していく様を解明することを目的とする。第二帝政期には女子教育に関して特筆すべき法整備はなされていないが、女子教育をめぐる議論が交わされ、女子教育が私的領域から抜け出す変化をみせていった時期である。女子教育が私的領域を離れるという変化はその後の女子教育システムの整備に密接な関わりを持つものであり、種々の貴重な一次史料を用いてこの女子教育の変容を解明するのが本研究の最終目的である。 そこで今後は、修道院寄宿学校の様相及び第二帝政期における立ち位置を明確にした上で、女子教育の変容を明確にするために、第三共和政下での女子教育の公教育化によって誕生する女子リセ、コレージュとの比較作業を試みる。そのために、フランス再度調査に行き、パリ国立公文書館、および国会図書館で史料の補填を行う。方法としては、女子教育の詳細な法整備を辿る他に、第三共和政が制定した教育カリキュラムの考察を行う。特に「宗教」の授業の代わりに登場した「道徳」の授業に注目し、その教科方法、教科書などを分析することで、女子教育と宗教の関係性を考察し、公教育に対する修道院寄宿学校の影響力を明らかにする。そうすることで、今まで欠落していた第二帝政期における女子教育に関する体系的な研究が完成すると思われる。研究の結果得られた知見を学会で発表し、論文にまとめる。
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