2006 Fiscal Year Annual Research Report
フランス・ルネサンス文学に見る「暴力」-「暴力の福音化」から「福音の暴力化」へ
Project/Area Number |
16520168
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Research Institution | Aoyama Gakuin University |
Principal Investigator |
平野 隆文 青山学院大学, 文学部, 助教授 (00286220)
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Keywords | 仏文学 / 西洋史 / 宗教学 / ルネサンス / 魔女 |
Research Abstract |
本年度は、フランス国立図書館(Bibliotheque Nationale de France/以下、B.N.)でおよそ10日に亙る調査を行い、大きな成果をあげた。まず、宗教戦争の期間に記されたジャン・クレスパン(クレパン)の『殉教録』の実物を手にし、1000ページに及ぶこのプロテスタントの犠牲者列伝の概要を知ることができた。ここには、聖体拝領という、イエスによる1回限り(唯一)の「血の犠牲」の繰り返しを拒否しながらも、自らが別次元の「血の犠牲」の記録を綴り、カトリック的な「聖人伝」に繋がるテクストを織り上げる矛盾に突き当たっている。そこで、キリスト教の壮大な歴史の中に、犠牲者の集積の一時代として、自分たちの宗教迫害の体験を位置づけ、いわば、歴史の大河の中に「殉教」を意味づけ溶解せしめることで、「個人崇拝」から脱しようとする試みが実践されていることが、分かってきた。さらにB.N.での調査で、プロテスタントが、聖体拝領への恐怖を様々な形で表明していることが確認できた。それは、イエスの血と肉を恒常的に「摂取」することへの恐怖であり、「人類全体」の贖罪を行ったキリストの死の「一回性」=「唯一性」を無意味化することへの恐怖に繋がるのである。この恐怖心を、カトリック側のヴェルステガンが版画入りで綴った『世界残酷劇場』と照らし合わせて考察することも試みた。その結果、プロテスタントによる虐殺が、頻繁にカトリックの「腹部」(腸など)を切開し、その中身を吟味する慣習を伴っていることが明確になった。これは、明らかに、上述した「聖体拝領」への異様な恐怖心と連動している。プロテスタントは、「聖体拝領」が「腹部」を「純化」していないことを確認する手段として、このような儀式を行ったと現在では推定できるに至った。カトリック側が、虐殺したプロテスタント教徒の口中に聖書の数ページをねじこんだ残虐行為(「聖書あるのみ」というプロテスタント側のプロパガンダを嘲笑する行為)と、この腹部切開という残忍な行為は、敵方に見いだした最も憎悪すべき側面を見事に反映している点で共通していると言えるだろう。なお、B.N.での調査から、殉教を経て獲得する天上での至福という観点から見た場合、クレ(ス)パンの『殉教録』とアグリッパ・ドービニエの『悲愴歌』との間に見事なアナロジーが成立するという推測が成り立つことも了解できた。以上の内容を元に、2009年3月頃を目途にして、講談社選書メチエのシリーズで、『暴力・その儀式的なるもの---もう一つのルネサンス論』(仮題)という著作を刊行することが内定したのも大きな成果だった。なお、ルネサンス前半に関しては、ラブレーに於ける暴力的言辞(冒涜的言辞)が、悪魔の介入とどう関わるのかについて、マイケル・スクリーチの研究に反論する形で分析し、論文に纏めることができた。新年度は、以上の成果に基づいて、執筆の準備にかかりたいと考えている。
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Research Products
(1 results)