2004 Fiscal Year Annual Research Report
復帰後に奄美群島と沖縄において実施された経済振興策の比較研究
Project/Area Number |
16530181
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Research Institution | University of the Ryukyus |
Principal Investigator |
大城 郁寛 琉球大学, 法文学部, 教授 (40194146)
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Keywords | 奄美群島 / 沖縄 / 復帰 / 経済振興策 / 比較研究 |
Research Abstract |
わが国の戦後の経済振興は、敗戦によって外国との貿易が閉ざされたため、国内資源の開発を推し進めることが最優先された。開発手段に関しては、当時の財政事情は逼迫していたため、復興金融金融金庫が復興債を発行し、それを日銀が引き受けることで資金を調達し、鉄鋼、石炭、肥料、電力など重要度の高い産業に最優先で資金を投入するという、金融的な手法で国内資源の開発が推し進められた。したがって、費用に対して効果の弱い離島に資金を注入することに対する政府の優先度は低く、奄美群島が復帰した1953年に制定された離島振興法は、内閣立法ではなく議員立法として提案された。奄美復帰に伴って、1954年に奄美群島復興特別措置法が制定された。離島振興法を奄美群島に適用せず新たに法律を設けたのは、運輸通信や生活関連のインフラ整備を行う点で離島振興法と目的を同じくしながらも、公共事業により高い国庫補助を与えるためであった。当初5年期限の復興特別措置法は、振興特別措置法、振興開発特別措置法と引き継がれ、住民1人当たりでみると莫大な公共事業が実施されインフラ整備は進んだが、経済振興ということに関しては成功を収めたとは言いがたい。それを象徴的に示すのが、1955年に20万人を超えた群島人口が、2000年には13万人まで減少したことである。期待した成果が得られなかった理由の1つは、島民、政府の両方において明確な経済振興の戦略を持たずに、貿易自由化の流れのなかで在来産業の振興に資金を投入し続けたことである。1960年代後期になって復帰の見通しが立つようになったとき、沖縄から幾つかの視察団が奄美群島を訪問し、その調査結果は沖縄振興開発計画の策定に大きな影響を与えることになった。
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