2019 Fiscal Year Annual Research Report
『ナジャ』からみるシュルレアリスムにおける遊戯の射程
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18J13036
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Research Institution | Kyoto University |
Research Fellow |
藤野 志織 京都大学, 人間・環境学研究科, 特別研究員(DC2)
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Project Period (FY) |
2018-04-25 – 2020-03-31
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Keywords | アンドレ・ブルトン / シュルレアリスム / フランス文学 / 遊戯 / ドキュメンタリー / 写真 / 都市 |
Outline of Annual Research Achievements |
今年度はまず自動記述とシュルレアリスム遊戯の関係をより深く考察するため、自動記述を通して書かれたテクスト・シュルレアリストをキーワードに調査を進めた。ブルトンがシュルレアリスム遊戯を数え上げた『シュルレアリスム第二宣言』(1930)と「互いのなかに」(1954)の比較を通して明らかになったのは、先行研究において混同されることの多かった自動記述とテクスト・シュルレアリストを、ブルトンははっきりと区別しており、自動記述をシュルレアリスム遊戯と考えてはいなかったという点である。そこには、テクスト・シュルレアリストが持つやり直しのきかない遊戯の一回性と、自動記述の事後的な更新とを隔てる壁が見て取れる。本研究の成果は、京都大学文学研究科フランス語学フランス文学研究会が発行する『仏文研究』第50号(2019)に掲載された。 その後は、シュルレアリスムにおける写真をめぐる議論のなかで、芸術を志向しない客観的な資料(ドキュメント)としての写真の重要性が指摘されている点に注目し、ブルトンがドキュメントをどのように捉えていたのか分析を行った。ブルトンの著作を読み進めるなかで気付くのは、彼が単に外的事実の記録のみならず、自身の主観的な内面の記録という意味でも、ドキュメントという語を用いている点である。この観点に立つならば、客観的なドキュメントを用いた構成を前提とするドキュメンタリーの意味合いは、ブルトンを語るうえで大きく変わってくるだろう。 ブルトンは『ナジャ』改訂版(1963)の序文のなかで、「現場で捉えた」ドキュメントを何一つ歪めまいとする決意を語っているが、ここで重要なのは、こうしたドキュメントを礎に執筆するという確固たる意識が、散文作品に限らず、自動記述の実践にまで遡るブルトンの書くという行為の核心にあったという点である。この成果については、『仏文研究』第51号での発表を予定している。
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Research Progress Status |
令和元年度が最終年度であるため、記入しない。
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Strategy for Future Research Activity |
令和元年度が最終年度であるため、記入しない。
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Research Products
(1 results)