2021 Fiscal Year Annual Research Report
The Siberian Intervention and the Changing East Asian International Environment
Project/Area Number |
19H01455
|
Research Institution | Hokkaido University |
Principal Investigator |
兎内 勇津流 北海道大学, スラブ・ユーラシア研究センター, 准教授 (50271672)
|
Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
松重 充浩 日本大学, 文理学部, 教授 (00275380)
バールィシェフ エドワルド 筑波大学, 図書館情報メディア系, 准教授 (00581125)
井竿 富雄 山口県立大学, 国際文化学部, 教授 (10284465)
麓 慎一 佛教大学, 歴史学部, 教授 (30261259)
長與 進 早稲田大学, 政治経済学術院, 名誉教授 (40172564)
藤本 健太朗 東北大学, 東北アジア研究センター, JSPS特別研究員(PD) (40851944)
Wolff David 北海道大学, スラブ・ユーラシア研究センター, 教授 (60435948)
中嶋 毅 東京都立大学, 人文科学研究科, 教授 (70241495)
中谷 直司 帝京大学, 文学部, 准教授 (70573377)
青木 雅浩 東京外国語大学, 大学院総合国際学研究院, 准教授 (70631422)
|
Project Period (FY) |
2019-04-01 – 2023-03-31
|
Keywords | シベリア出兵 / 沿海州ゼムストヴォ参事会臨時政府 / 尼港事件 / 北サハリン占領 / 極東共和国 / グリゴリー・セミョーノフ / 立花小一郎 / 原敬内閣 |
Outline of Annual Research Achievements |
シベリア出兵の研究においては、多くの重要事件や人物、その他の基本的事象が検討されないままで残っているが、本年度は、コルチャーク政権崩壊直後の1920年1月にウラジオストクに成立して、約1年存続した沿海州ゼムストヴォ参事会臨時政府について研究し、兎内がその概要を学会パネルの中で報告した。この政権は、ボリシェヴィキやエスエルが参加しただけでなく、一時は商工業者までも加わった連立政府であり、日本との間に設けられた緩衝国でもあった。この政府は、極東の政治的統一を主導しようとした時期もあるが、4月初めに日本軍と武力衝突して軍事力をほとんど喪失し、ハバロフスクを中心とする州北部を失った。この背景には、北サハリンの占領を想定し、尼港事件をそれに利用しようとした日本軍の動きがあった。その後の紆余曲折の末、極東の統一は、セミョーノフを追い出してチタに入った極東共和国の主導で進行し、沿海州ゼムストヴォ参事会臨時政府は、その地方政府に転じて役目を終えることになる。 このほか、青木が1921年に人民党政権が成立した後のモンゴルの政治的エリートとセミョーノフら反ボリシェヴィキ勢力との関係について、新史料を発掘し、上の件などと合わせて学会パネルを組織し報告した。 バールィシェフは尼港事件についての研究を進め、これについての論文を発表した。これを機会に、尼港事件と北サハリン占領を扱う学会シンポジウムを企画し、兎内とバールィシェフが報告した。 長與はハイラル事件(1920年4月)について研究し、研究会で報告した。 兎内は、及川琢英らと共同作業により、1919年4月に初代関東軍司令官となり、1921年1月にウラジオ派遣軍司令官に転じた立花小一郎の日記の翻刻作業を進め、一部を出版した。
|
Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
コロナ・ウィルス感染症の世界的な広がりは、本研究に、海外での史料調査を不可能にするなど大きな影響を与えた。リモート参加による国際シンポジウムを企画したものの、ロシアで文書館等が閉鎖されるなどにより、開催が近づいてから報告予定者が辞退して国際シンポジウムとならなかったのは痛かった。 しかし、シベリア出兵研究においては、基本的な事件や事象についても十分に研究されていない現状がある。そのため、日本で入手可能な史料・文献によって研究したことで、今後の研究のための土台固めをすることができたように思われる。 分野・背景を異にする研究者が集まって、多角的にシベリア出兵を研究しようとするこのプロジェクトは、異分野の研究者と交流し刺激しあうことに妙味があり、そうした点はコロナによっても損なわれることがなかったことが大きい。
|
Strategy for Future Research Activity |
そもそも、1920年4月の協定によって武力の保持がきびしく制限された現地では、大衆動員による以外、本来ならば実力行使による政変が起こるはずがなく、日本は国際的疑惑にさらされることとなった。 メルクーロフ政府は、1922年夏にディーチェリフスの率いた政権に交代した。しかし、復古的で君主制を目指したこの政権は短命で、3カ月も持たずに日本軍の撤兵と同時に崩壊した。 そのため、沿海州ゼムストヴォ参事会臨時政府に続いてメルクーロフ政府を研究することにより、出兵の終わり近くまでを見通すことができる。これによって、研究の乏しかった後期シベリア出兵の実相が明らかとなり、ワシントン会議や長春会議との関係も展望できるよういなると期待する。 また、林忠行が『チェコスロヴァキア軍団:ある義勇軍をめぐる世界史』が岩波書店から2021年に出版されたことで、軍団をめぐる研究上の課題が明確化してきた。特に1918年夏から秋にかけてのウラルやシベリアでの軍団の在り方、ロシアのさまざまな勢力との関係を解明が望まれる。この作業は容易でないが、とりあえず刊行済みの史料を検討しながら少しでも手がかりを見つけていきたい。
|