研究概要 |
本研究は中世民衆の権利意識と規範意識とを統一的に検討をすることによって,民衆の法思想を解明しようとするものであった。 山城国伏見荘や近江国大島奥津島荘,さらには,薩摩国日置荘などの村落を調査し,村落住民の動向がどのような村法を生みだすのかを追求した。 たとえば,延暦寺領近江国奥島荘の村落生活は,1260年代には15人の有力農民によって指導されていたが,1290年代になると58人の農民が結東するようになる。この過程において,「悪口の輩においては御荘内を追却せらるべし。かねてまた妻女子息といい,村を千万悪口いたさば,小屋もまた払焼くべきものなり」という有名な惣掟(村法)が作成されたのである。惣掟の厳しさはいったい何を物語るのか。農民諸階層が村落共同体と深くかかわることによってのみかろうじて自己の生活と生産とを維持することが出来た当該段階において,惣結合(共同体)からの追放は,浮浪→没落→死を意味していたことは明らかである。 惣掟の厳罰主義は,惣の団結の強さの表現であると同時に,弱小農民をかかえこむことによって,拡大する組織内の矛盾にいかに対処するかといった苦悩の表白でもあったといえよう。
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