配分額 *注記 |
14,450千円 (直接経費: 13,100千円、間接経費: 1,350千円)
2007年度: 5,850千円 (直接経費: 4,500千円、間接経費: 1,350千円)
2006年度: 4,100千円 (直接経費: 4,100千円)
2005年度: 4,500千円 (直接経費: 4,500千円)
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研究概要 |
コンバウン時代後期,マンダレー王朝時に導入されたタッタメーダ税制により,農地や生産高の正確な把握による地租の導入を目指し,住民の50%近くを占めるアフムダーン(王務従事者)を,地域的な支配体制の中に組み入れることによる住民支配の一元化がはかられた。 しかし課税に必要な農地や産出高に関する調査が進まず地租制度は実現するにいたらなかった。結局,戸数割税の公平な賦課を追求するにとどまってしまう。またアフムダーンや地方領主の官僚化についても,それを維持できる歳入を実現できず,絵に描いた餅となってしまう。さらには緊迫した国際情勢のもとにあっては,王朝の権力基盤であったアフムダーン制度の改変は,強行できなかったに違いない。こうしてタッタメーダ税の導入による資源の一元的管理は,実現できなかった。 ところが続くイギリス植民地支配は,非武装化の必要上アフムダーン制を廃止し,見かけのうえでは公平な税負担を実現した地租の導入や村落制度の改変を行うことによって資源の一元的管理を完成させる。ただ従来,上ビルマの村落社会を根底から変容させたと考えられてきた「上ビルマ村落規定」は村落の実情を無視したものであり,政庁による村落行政は,その初期においては必ずしも額面どおりに進まなかった。 本規定や,その補則として制定された「ヘッドマン任命規則」の内容は,ミンドン王がタッタメーダ税を施行する過程で導入しようとした村落支配の方法とよく似ている。マンダレー王朝時代は,その施策を貫徹できず,しかし初期の植民地政策も,少なくとも1890年前半までは地方の論理を改変できなかったのである。王朝後期の社会はすでに国民国家の形成へ向けて歩みはじており,植民地政策はその延長線上にあったと考えられる。
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